2021年9月 中秋の名月

 目を覚ました長義は、眼前に広がる天井がいつも見ている天井とは似ているけれど、異なることに対して、疑問符を浮かべる。
 起き上がってみれば、異なっている理由がはっきりとする。
 ここが手入部屋だからだ。
(ああ、そうか。そういえば、傷を負ったな……)
 ぼんやりとした記憶を紐解くようにたどる。

 出陣先でそれなりの傷を負った――気がする。
 気がするのは、長義自身としてはたいした傷ではないと、血が流れようと、歩きにくかろうと、そんなことは物ともせずに時間遡行軍を相手にしていたが、途中から記憶がすっぱりととぎれているからだ。

 ――とぎれている、それが示す答えは、ひとつ。

(なるほど。俺は負けたのか……)
 手のひらをじっと見つめ、長義は状況判断をしていく。
 負けはしたが、人の形は保てている。それは折れなかった、ということ。
 この経験を次へと繋げ、強くなるしかない。
 負けたことをいつまでも悔いていても意味はない。先を見つめなければならない。
 強い刀であるために。

「とりあえず戻るか」
 傷ついた身体は元通りとなったのだから、いつまでも手入部屋についている必要はない。


 ◆ ◆ ◆


 本丸は広い。
 刀剣男士の人数が人数なだけに、部屋数はかなり必要になる。それ以外の部屋も、畑も、庭も、様々はものが本丸にはある。なので必然的に広い。
 廊下は細く長い。
 その長い廊下を長義はゆっくりとした足取りで歩みを進める。

 庭に面している廊下は外の空気が肌にまとわりつく。暦は夏が終わり、秋へと名を変えた。空気はだいぶひんやりとしたしたものとなった。肌を通して感じる空気も同じようにひんやりとしている。
 夏の暑さは喧騒を強く感じあまり好まないが、夏の空気が多少残りつつも風の臭いが秋のものへと変わっていくこの季節を長義は案外好んでいた。
 変化を身を持って感じることができる、それがいいのかもしれない。
 そんなことを考えながら、変わり目を愛おしむように、時折庭を眺めつつ廊下を歩いていると、柱にもたれかかっている影がひとつ。
 その影は長義が声を発するよりも先に、声をかけてきた。
「よぉ色男」
「……どういう意味だい、猫殺しくん」
「そのまんまの意味だにゃ」
 どう考えても含みしかない南泉の言葉に、長義は眉間にしわを寄せるが、そんな長義の様子など気にもとめていない南泉はその場に座り込むと床を軽く叩く。
 長義に隣に座れと、態度で示してきたのだ。
 南泉のほうからこういったことをするのは珍しいことなので、長義はそれに素直に従い隣に座れば、南泉は嬉しそうな、口元のゆるんだ表情を浮かべる。

「色男のお前にこれやるにゃ」
 ジャージのポケットから南泉がそう言いながら取り出したのは、大福。それが長義の手に乗せられる。
「……?」
 意味が分からず長義が首を傾げれば。
「お前がのんびり寝てる間に十五夜が終わっちまったんだよ。で、それは団子の代わりだにゃ」
 反対側のポケットからさらに大福を取り出した南泉は包みをむくと、それを長義の口に突っ込む。
 あまりにも唐突すぎる南泉の行動は予想することなんてできない突飛なものすぎて、長義は南泉にされるがまま。
「……っ!!」
「まあ十五夜は過ぎたけど、月はきれいだからにゃ。お前がオレと見たがってた月見をこれからするのもいいんじゃねぇのって思ってさ。お前のこと待ってたんだ、にゃ」
 月明かりと混じる南泉の金色の髪は昼間とは違う感情を長義に抱かせ、金が混じった瞳は、いつもみせるような強さとは違う揺れが見えた。
 長義は口の大福を飲み込むと、南泉の頭を抱え込む。
 行動はほぼ衝動。だが衝動に駆られるだけのものがそこにある。
「……っ!!」
 そんな長義の行動に今度は南泉が息を呑んだ音がするが、そんなことにはかまわない。それよりも南泉に告げなければならないことができたからだ。

「待たせたな」
 その言葉に南泉は「……っとだよ。遅いんだよ!」と返すが、その手は長義の背中に回された。

―了―