2021年5月 ちゅー

 ことの原因を作ったのは考えるまでもなく、南泉一文字である。
 己が原因でこの状況、遠征から戻るなり満面の笑みを浮かべた――その笑みが鬼の形相として南泉の瞳に映ったわけだが――山姥切長義に腕を強く掴まれ部屋まで連行された。

 本丸の遠征帰還場所に長義の姿をみとめた時点で、散々逃げ回っていたが、もう逃げることはできないのだと悟りはしたものの。いざこうして長義を目の前にし、互いに正座で向き合ったまま無言でいる、という状況はいたたまれなさしかない。いたたまれないが、原因は己なので、長義に文句を言うのもはばかられてしまい、南泉は長義と視線を合わせることがないよう視線を落としたまま、長義が口火を切るのを今か今かと待っていた。

 しかし手持ち無沙汰がゆえ、南泉は指で畳をカリカリと掻くように動かしていた。
 そんなことをして場を濁すくらいなら、自ら口火を切ったらいいだけのことなのだが、散々長義から逃げ回っていたのは答えを訊きたくないからだ。
 我ながらだいぶ大胆なことをした、という自覚はある。
 空気と勢いに圧され購入した石を勢いが失せないまま長義に押しつけたのだから……――。
 押しつけた途端正気に返り、逃げ出してるのだから中途半端このうえなく、一文字の名に相応しくない行動をした自覚も強くある。
 だからこそよりいたたまれない気持ちが強く、今も逃げ出したい気持ちが強くあるものの、この状況で逃げ出せるわけもなく、長義から何かを言ってくれるのを待っている次第。
 答えは訊きたくない。だが逃げられない。逃げられないなら早く長義の答えを訊きたい。矛盾だらけの感情。

 止まらない畳を掻く指先。落ち着かない心。
 いい加減腹を括るべきは南泉のほうなのは、確実。

 長義はこの状況でどうしているのかさすがに気になり、南泉は視線をゆっくりと彼へと向けると、まっすぐに南泉のことをみつめている長義と視線が絡む。
「…………っ」
 まっすぐで強い長義の視線。強い緊張が身体に走り、たまらず唾をひとつ、飲み込む。
「ようやく俺のことを見る気になったのかい、猫殺しくん?」
 微笑みを浮かべてはいるが、長義の目は一切笑っていない。
 これは散々逃げ回ってきた南泉のツケだ。受け入れるしかないものである。畳を掻いていた指先をぎゅっと握りしめると姿勢を正す。
 南泉が態度を改めると長義も姿勢を改め、強い視線が緩み柔らかさが浮かぶ。
(あっ……)
 そのことにそっと南泉は胸をなでおろす。
 が、すぐに別の緊張感が走る。

「君は俺と番になりたくてこれを渡してきたんだろう?」
 そう言いながら先日南泉がむりやり押しつけた青翡翠を目の前に出されたからだ。

「あっ、えっ、と、その……にゃ」
「君の口からきちんと説明してほしいんだが、してもらえるかな?」
 長義の圧もあるが、そもそも拒否権など南泉にあろうはずがない。なにせ今日までずっと逃げていたのだから。つまりはもう逃げられない。それだけの話。
 腹を括るしかない――ということ。
 南泉は再度唾を飲み込むと、覚悟を決めて、口を開く。
「あーっと、その、にゃ。御前に気になる相手に綺麗な石を渡すと気持ちが伝わるから、渡したら良いって言われたんだにゃ……」
 ――説明するために言葉にしていて、南泉はあれ? と、首を傾げそうになる。
 長義が先程言葉にした番とは、どういうことなのか、と。
「なぁ山姥切。番ってどういうことだ、にゃ?」
「……っ! あんのっクソジジイ……!」
 南泉の問いかけに長義は頭を抱えだしたので、さすがに南泉もおかしさに気付きはじめる。
 これはもしや、もしかしなくとも、一家の祖である刀にからかわれた、もしくはおもちゃにされている、ということに……。
「あー……っ、なんかあれか? オレ、御前の戯れ言にお前のこと巻き込んだ、か?」
「猫殺しくん、一文字則宗のことはひとまず気にしなくて良い。まずは君が彼に言われたことで行動したことについて整理しよう」
「お、おう……」
 長義から苛立ちが感じられなくもないが、そこに触れて余計話をややこしくするとさらに長義を苛立たせるだけなのは容易に判断ができることなので、南泉は素直に頷く。
「気になる相手の気になるの意味から問おうか」
「…………っ」
「俺は言葉にすることも大切だと思うんだよ」
 長義の言い方は優しい。しかし強い圧がある。言いよどむな、という圧だ。
「その、お前のことが、好き、かも?」
「……ねぇ君。なんで疑問系なんだ?」
 さらにかかってくる長義からの強い圧に、南泉は怯みそうになる。怯めば怯むほど、より圧がかけられるのは明白。
(ああっ! もぉっ!)
「山姥切長義! お前のことが好きだっ! にゃっ」
 猫の呪いで肝心なところで締まらないが、そこを気にする余裕は南泉にはもうない。それを上回る羞恥があるからだ。
「うん。良いね。南泉、優だよ」
 だがそれでもいいのだろう。満足気でいて、心底嬉しそうに笑う長義が目の前にいるのだから。なので南泉も眦を下げて笑う。
 知りたくて、でも知りたくなくて、あれだけ長義から逃げ回っていたけれど、逃げる必要などどこにもなかったのだと長義の態度が南泉に教えてくれる。

 しかしほっとしたのも束の間。
「南泉おいで」
 両手を南泉のほうへと長義は広げてくる。
「にゃっ?」
 意味をはかりかねて、南泉は首を傾げる。
「君にははっきり伝えないとわからないかな? 君を抱きしめたいからおいでと言ってるんだよ」
「あーーっ、んっ……」
 畳の上をずるずると引き摺るように膝立ちでゆっくりと歩きながら、長義の言葉に倣うように、腕の中に収まる。
 すると背中に回される長義の腕。
 なんだか安心する温もりに南泉は長義の顔をみつめると、先程と寸部も変わらぬ笑みを浮かべている長義の唇が近付いてくる。南泉はそれを目を閉じて受け入れるのだった。

―了―