#11:融解症状タイムラグ
掲載内容
融解症状タイムラグ
「今年は猫殺しくんからのチョコが欲しい」
それは唐突に始まった、長義からのおねだりであった。
「俺からチョコを渡すんじゃなくて、君から貰いたい」
「はぁ……」
突拍子なく始まった長義のおねだりに対して、南泉は気の抜けたような返事をしてしまう。
前振りも段取りもなにもなく、それでいてあまりにも突拍子がなさすぎるそれ。
そもそもそんなことを「なぜ」「わざわざ」「ねだって」くるのか、ということが理解できない。みかんを剥いていた手がぴたりと止まってしまうくらいには、南泉には「チョコが欲しい」という感情が、まったくわからないことなのだ。
西暦二二〇五年を過ぎたこの時代にも残っているバレンタインという風習。残っている理由は単純に、この本丸の審神者がイベント好きだから、という単純明快なものになる。そんな理由でもなければこういったイベントは残っていない。なので当然ながらバレンタイン以外のイベントごともこの本丸ではほぼ残っているが、そこは今は関係ないことなので、横に置いておく。
そのバレンタイン。南泉は顕現してからというもの、もらうばかりなので、あげる、という感覚がない。
なぜだか南泉の周りは、やたらとバレンタインにはチョコをくれるのだ。甘やかしとか、可愛がりとか、そういった理由が主だったところだろうことは推測できるところではあるが、相手に何故南泉にチョコをくれるのか明確な理由を尋ねたことがないので南泉にはわからない。わからないけれど、向けられる好意を無碍にすることはしたくないという気持ちのほうが優先されるので、南泉は誰からのものであっても常にありがたく受け取っている。
――というのが、南泉のバレンタインである。
なので南泉にとってバレンタインよりもお返しをするホワイトデーのほうを意識することが多い。
その南泉の状況を知っていて、かつ、長義も毎年南泉にバレンタインにはチョコを渡してくる側だというのに、今年は欲しいと言ってくるということは、どうやら今回は違う趣向らしい。
「チョコ、にゃあ……」
ぐるぐる、ぐるぐる、南泉は視線をあちらこちらへと動かしつつ、同時に思考もぐるぐる、ぐるぐる、めぐらせる。そんなことをしていれば、明らかな怒気を含んだ長義の顔が視界に入る。
「猫殺しくん。意味、わかってる?」
その長義はさらに表情を変化させ、眉間にしわを寄せ、不満そうな調子で南泉に問うてくる。
「わかってる?」言葉ではそう問いかけてはいるが、「わかってないよね?」と長義の表情は語っている。それはもう強い意思を持って、わかっていないだろうと、無言で訴えかけている。
これに対する答えとして「わかっている」も「わからない」も、どちらを答えたとしても正しくはないだろう。
なぜなら長義が求めているものの正確性が、南泉にはわからない。己ではないものの感情に対し、正しく言い当てる、というのは不可能だ。
とは言え、長義が言わんとしていることは、わかっているつもりだ。それもまた、つもり、という曖昧なものではあるが、考えることを南泉が放棄していないことでもある。少しでも汲み取ろうという、南泉の気持ちの現れだ。だが汲み取るだけでは、山姥切長義という刀は納得しないだろう。
彼が欲しがっているものは、きっとそういうことではない――だろう。たぶん。
(ま、いろいろ考えたところで、理由をあいつがオレに話さない限り、あいつの求めてるもんはわからないけどな)
そもそもバレンタインとは、なんなのか。本丸ではチョコを渡すと翌月にお返しがもらえる日、という認識が一部ではされている。その一部とは、お菓子や甘いものが好きな刀剣男士だ。そういう刀剣男士は、お返し目当てで張り切ってチョコを配っていたりする。
この本丸の審神者は女性だ。主である彼女は「これはいつもご苦労様のチョコだからお返しは禁止」と言って、本丸に顕現している刀剣男士全員にチョコを配っている。バレンタインには、ねぎらいという意味を付随しても良いらしい。
いつだったか南泉は審神者にねぎらいのチョコに意味はあるのか尋ねたことがある。その際に言われたのは、義理とか友達にあげるものとか、本命以外に渡すチョコの理由なんてなんでも良いし、理由なんてなくても良い――そんなようなことを言われた。つまりあげるほうはなんでもいいのか、と、そのときは思ったものだ。
それでは、もらうほうは、どうなのだろう?
お返し目当てとは違う、そういうものとは違う反対側の立場では、また意味合いが当たり前に違ってくるのではないか。
(あ、そうか……)
こいつはいわゆる本命チョコ、というのが、欲しいんだ――ということに、思い返すことで、南泉は長義の欲しがる理由にたどり着く。